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ゲーテ

 投稿者:なす爺  投稿日:2018年 6月14日(木)12時09分9秒
返信・引用
  言葉によって死ぬこともあろうとは思っていても、鈍で低俗好みの私には、
おっしゃる通りに持ち出されたものですね。ゲーテは老齢の恋のたまもの
---のに ああ私もゲーテ晩年の齢だかと そこだけ納得 感受したところです。
 
 

ボルヘスの詩

 投稿者:素徹  投稿日:2018年 6月11日(月)14時10分15秒
返信・引用 編集済
   いつこの詩を目にしたのかは記憶に定かではないが、どこかで思いが結びつくので、日本語にしていた。それでも原詩から離れたくないので、鼓直の訳も見た。いつものことだが、言語を移し替えるということは、もとの言葉の響きからまったく違った音に変わるのを余儀なしとしない。原詩を目に響きを推測しつつも、自分の綴る言葉からみるみるその響きが遠ざかる切なさを感じる。それでもその詩を自分のものとしたい。せいぜいもり込めるのは気分だけ。なにを感じていただけるかなと、ここにもちだす次第。

    ドイツの言葉へ

               ホルヘ・ルイス・ボルヘス

  私に定められたのはカスティーリア語
  フランシスコ・デ・ケベードの青銅、
  だが ゆっくり歩く夜に気持ちを高めるのは
  よその,もっと心に添う調べ。
  そのひとつは血脈であたえられたもの -
  おお シェイクスピアと聖書の声だ -
  ほかのひとつは偶然という気前のいい手からだが
  あなた、快いドイツの言葉、
  あなたをここに選んで、求めたのは私自身。
  夜も眠らず、文典を経巡り
  変化形の密林をさまよい
  辞書を引きひき、まったく腑に落ちる
  意味合いはえられずとも、近づいていった。
  私の夜々はウェルギリウスに充たされている、
  と言ったことがあるが、こうも言えたただろう、
  ヘルダリーンとアンゲルス・ジレージウスにと。
  ハイネは高みにいるナイティンゲールをもたらし、
  ゲーテは老齢の戀の賜物が
  意のままとともに損得ずくと教え、
  ケラーは、ある手が、自分を愛した死者の手に
  バラの花をおくが、死者はそれが白いか赤いかわからないと。
  あなた、ドイツの言葉、あなたは堂々とした
  作品だ。複合語の絡み合った愛、広母音、ギリシャ人が
  練り上げたヘクサメトロスを可能にする音韻と
  森や夜のざわめきを伝えるあなた。
  かつてあなたは私のものだった。今日、疲れた
  年月の極みにあって、あなたを遠く
  代数や月くらいに見分けられるのです。

    Jorge Luis Borges:  ”Al idioma alemán“ (Gisbert Haefsによる独訳をたよりに訳す)
 

沢村貞子

 投稿者:なす爺  投稿日:2018年 5月31日(木)02時59分13秒
返信・引用
   素徹さんの聞きたい沢村貞子のおしゃべりを、私も聞きたくなって「沢村貞子という人」
山崎洋子著を読んだ。声は聴けなかったが、沢村貞子をたっぷりと語ってくれていてすがすがしく、
早口に話す沢村の声が聞けたような本で、電車の中で読んでいて降りる駅を過ぎてしまった。
 黒柳徹子は沢村の大ファンで゛毎日のように沢村宅へ通っていて、お母さんおかあさん
とつきまとい二人でしゃべりまくっていたのを山崎はそばで見て聞いていたのだ。
生前に沢村が望んでいた海洋散骨を、ふたりは沢村が言っていたように葬儀から海の場所まで
素敵に実現し、船上から沢村の望んだ風景を見つめつつ、沢村の骨を握りしめて海にまいた。
沢村貞子 黒柳徹子 山崎洋子(沢村のマネージャ- )三人の女性はほんとほんといい女ですね。

素轍師のおっしゃる通り、徹子の喋りはぞんざいで、やや下品になっている。でも徹子の部屋に来る
相手はみな年下で、有名人ではあってもぞんざいに対処したくなるような相手ではなかったか。
この本を読んでいて沢村の日常が私の母に似ていて驚きうれしくなった。
、ある時代に強く対面し真摯に暮らしててきた人は共通な底光りする筋金をもっている。
沢村は開戦前 戦争非協力非国民として警察にとらえられて一年間も留置所にいたのだ。
 

8/15目白なすびで

 投稿者:なす爺  投稿日:2018年 5月27日(日)05時13分20秒
返信・引用
   敗戦記念日を迎えるたびに自分の歳と重ねて亡くなった父母兄弟親類縁者友人知人、建物道具
などを思い出す。何でこんなものを思い出すのかとふしぎなものもあり、
記憶というものは面白い。
8月15日を特別としているからなのか、その日以外からは思い出すことが少ないのも面白い。
9月になって学童疎開先の会津柳内津から東京に戻ったのだが、家は空襲で焼失し、
一家5人母兄二人と妹が狭いアパートで暮らした。父は沖縄で玉砕と言われても
公報はなくて、母は4人の子を抱えて毎日どんな想いでいたのか言葉にできない。---
でも-元気で私たちにはつらさも見せず、長兄当時日大二中の二年と食料調達に
必死な思いで出歩いていたようだ。
 出征前の父は大日本軍用鳩協会・陸軍通信隊専属理事で鳩の飼料を担当していた。
協会会長が鷹司公爵で、父はよく公爵邸へ鳩の餌を届けるのだと出かけていた。
当時大豆は貴重品だったが我が家の物置小屋、浴室の脱衣場まで南京袋の大豆が山積みであった。
軍隊倉庫へ納めるついでに余分なものとして我が家へ納入させていたのだろう。
父は余禄役得のおおきな職場地位であったようだ。
白い飯に大豆を混ぜたのがたまには出たが麦と混ぜた白米が多かった。
学童疎開先へ毎週母は来てくれて、その時はいつも炒った大豆を
りゅつくサックに詰め込んで背負ってきた。
それは教師たちも期待しているもので、母は教師たちにも学童たちにも期待されていた。
ご飯は少なく芋やカボチャよりも大豆が好かれた食糧不足の戦時下であった。

 

八月一五日

 投稿者:素徹  投稿日:2018年 5月21日(月)16時59分6秒
返信・引用
  なす爺提案に賛成。派手でなくとも、憲法改悪阻止の気持ちがともにできれば、よしとします。
8月15日(水)どんぴしゃりでいいでしょ。
 

ことばで反戦

 投稿者:なす爺  投稿日:2018年 5月21日(月)14時01分59秒
返信・引用
  そーだねーと北国の選手たちの言葉は気持ちよく広まったと思う。
地方方言を禁止して標準語なるもので全国民を統一した政府は
上意下達の効力を高めて大衆を政権に服従させたように思います。
ことばの美醜も大切なのだが、ここ最近の効率のみのメール言葉も
ファショに通じるような怖さも感じているなすび80翁だよ。

 もうすぐ8月なすび恒例8/15反戦反安倍 お盆コンサートでも
 やりたいと思うのですが
 みな様のご希望日時や御趣向も伺いたい。
この掲示板に投稿ねがいます。 千秋 八月や六日九日15日
 

「いまのことば」に思う、のこと。

 投稿者:  投稿日:2018年 5月12日(土)15時50分53秒
返信・引用
   素徹さんの「ことばのいま」の投稿を読んで、「いやはや、なかなか言葉に手厳しいお人だな」と思う人もいるでしょうね。けれど、おそらく、彼は、日本語を正確に使って、この言語が本来持っている美しさや巧みな修辞(語法)を味わいたい、という観点から投稿されたのだと思います。失われゆく日本語を嘆く、とまではいかないにしても、日本語を愛しているのだなという感触が伝わってきます。これには基本的に同感。

《知りもしない男や女から「おとうさん」と言われて、「あなたみたいな子供はいなかったがな」と言いたくなることしばしば。》という件など、小生は思わず笑ってしまいましたが、まじめに受け取る人の中には、「いやあ、なんだか妙にひねくれたオジサンだな、付き合いにくそう」と思う方もおられるかもしれません(「ひねくれ」てはいませんが、実際、素徹さんは一筋縄ではいきません)。でも、実は、これと似たようなことを25年ほど前に経験したことがあります。新宿の場外馬券売り場近くの路上でにわか予想店をのぞいていたときのことです。一発大穴を当てたいと思いながら、こっちが真剣に話を聞いていたからでしょうか、「ねえ、旦那、嘘じゃありませんよ、絶対に当たるんだから」と予想屋のオヤジが声を掛けてきました。「ダンナ? もしかして、この僕のことか?」って感じ。まあ、35歳を過ぎれば男は誰でも「ダンナ」なのかな、と、そのときは無理やり思いました。

 あらゆる国々の言語・言葉は生き物です。ですから、時代時代で言葉が変化するのは致し方のないことかもしれません。むしろ、当然の推移かも。美しいから、巧みな修辞だから、とこだわっていると、時代についていけなくなるかもしれません。もちろん、「なに言っていやがる。こちとら、時代なんてものについてくつもりはさらさらねえよ。俺が時代だ、この俺が。へん、大きなお世話だ。べらぼうめ!」と声を大にする御仁もおられるでしょうが、その辺が難しいところ。
 ともあれ(高村 薫は「とまれ」と使います)、現代は猛烈なスピードで時代という大河が流れて行っているような気がします。猫も杓子も手に持って、思考停止状態になっている乗り物でのスマートフォンの普及が、その流れに拍車をかけているような気もします。そこで、少し前、気になったのでちょっと調べてみました。現代の若者(たぶん、Teen-ager)のメール言葉(おそらくスマートフォン同士のやり取りでしょうけれど)。以下に列記します。小説に若い人を登場させるとき、ひょっとすると、必要になるかもしれないという、実にまじめな関心事でしたから。

 では、いきます。

・ムズい(難しい)
・りょ(了解)
・とりま(とりあえず、まあ)
・いみふ(意味不明)
・あーね(ああ、なるほどね)
・イツメン(いつものメンバー)
・おこ(怒っている)
・おけ(OK)
・それな(確かに)
・つらみー(辛い)
・マジ卍(まじめにうらやましい・やばい)
・いってら(いってらっしゃい)
・ほかいま(入浴後、「ただいま」と「ほかほかした」を合わせた)
・ほかえり(「ほかいま」に対する返事)
・わず(wasの意味で「勉強わず」は「勉強した」の意味)

 どうです、このメール言葉。
 新語作成の基本方針は「短縮形」でしょうが、中には「なるほど、うまいこと加工したな」と思うものもあります。めんどくさがり屋というより、自分たちが作った言葉を愉しんでいるというセンスすら感じます。彼らはこうした言葉を会話の中でも駆使しているのでしょう、電車の中で彼らの会話を聞いて、理解できないときもしばしばです。しかも、非常に会話のテンポが速い。「ねえ、ちょっと訊いてもいい? 今、なんて言ったの。それ、その単語、どういう意味なの?」と言いたくなりますが、口にしてしまえば、変態オジサンだと思われ、白い目で見られ、挙句の果ては駅員に不審者か痴漢として連行されそうなので我慢します。

「ことばのいま」は時代を映し出す鏡かもしれません。ビルや自動車、歩道にあふれかえる人々や止むことのない騒音、そんなごみごみした都会の喧騒から逃れて、山の湖畔で、或いは新緑の森の中で、さわやかな5月の風に接しながら、うまい酒でも飲みたいものだ、と思うように、時々、美しい、正しい、耳に素敵な日本語を聞きたくなることがないわけもありません。それがなかなか、「ムズい」ので「つらみー」なのです。
 

ことばのいま

 投稿者:素徹  投稿日:2018年 5月 8日(火)22時35分2秒
返信・引用 編集済
   この頃のことではないのですが、日本語がなんだかおかしくなってきているようです。
 まず、日常の言葉、話し言葉が気になる。はっきり言って、きたない、耳ざわり。

 ここでやり玉に挙げるのは気の毒かも知れないが、長寿、有名番組だから例に挙げますが、「徹子の部屋」での黒柳徹子の話し言葉はけっしてきれいではない。むしろぞんざい。興に乗ってくると、語尾に「サ」がつく。「そんでサ」の「サ」。そして、受け答えに絶えずつかうのが、「きれー(きれい)」「かわいいー」.一番まいるのが、最多用の「すごーい」。こういう形容詞だか間投詞は、実感が込められてこそ意味がそなわるが、その多くはおざなりで、実感がこもっていないことが多いので、聞きづらい。ああどうでもいいんだなと思ってしまう。「すばらしい」、「おみごと」といった表現は現代語から消されてしまったんでしょうか。ついでに言っておきますが、「お着物」なんて言っておきながら、「もの」と言うところ「やつ」なんてのたまう。
 ああ、沢村貞子のおしゃべりを聞きたい、と心から思います。

 だが、こうしたことをあげつらっていては、ちまたで耳にする会話の形容の仕方がなくなってしまう。男も女も、小父さんも小母さんも、「だよね」を連発。
 知りもしない男や女から「おとうさん」と言われて、「あなたみたいな子供はいなかったがな」と言いたくなることしばしば。

 会話のことばに抑揚が乏しくなったのは68年後遺症。「アー」「エー」を挟みたくないので、「われわれワー」、「決議しテー」とどこの方言にもない、時代弁を作りだし、それが定着したんでしょう。でも、花も恥じらう(これは死語か)乙女が、この調子でしゃべくりまくると、げんなりしませんか。

 気になり次いで。この頃あっちこっちで評論や紹介でつかわれる「本作」。増殖しています。目にしない日はない。散見します。そう、これもこの頃は受動態、使役態の流行に毒されて「散見される」が普通になってきてしまった。これもおかしな職種名「文筆家」諸氏よ、まさに飯の種の言葉なんですから、もう少し丁寧に扱ってくださいなとお願いする次第。

 
 

なすび4月句会の結果報告

 投稿者:  投稿日:2018年 5月 6日(日)18時27分1秒
返信・引用
   少し遅くなりましたが、4月28日土曜日、野方の中華料理店「田舎菜館」で行われたなすび4月句会の結果報告です。
 今回で通算83回目の句会でした。兼題は素徹さんから頂戴した「花」。投句者は仁・羊・正夫・千秋・素徹・万亀・行の7名、句会出席者は行さんを除く6名でした。
 ご覧の通り、ダントツの得点句がなく、珍しく選が割れました。その中でかろうじてトップの5点を獲得したのは02番句、惜しくも4点となった句が10番、21番、23番、29番と続きました。さらに3点句が05番、11番、20番、30番、31番。5点句から3点句は実に僅差の得点です。はやり、俳句になりやすい兼題の影響でしょうか。それにしても皆さん、うまく4月を詠みました。
 02番句は「流れていく花筏の上に居る一寸ほどの身体になった自分を岸辺で観ているという、ファンタジックな世界が良い」という選者がおられました。作者は岸辺に居る自分を想定していませんでした。この評によると、「この春の己を見送っている」という意味合いも出てきます。一元的から二元的、なるほどね、の評でした。

 さて、次回は6月第4土曜日を予定、兼題は羊から提出します。

 尚、この結果報告は作者別に「なすび句会ブログ」にもアップしてありますから、そちらも、どうぞ、ご覧ください。

なすび句会ブログ
http://nasubikukai.blog35.fc2.com/

 以上、世話人・羊からのお知らせでした。

■なすび4月句会結果(【 】内は作者、◎は特選3点、〇は準特選2点、無印は並選1点)
01病妻の帯に刺繍の花苺【仁】
02一寸の身となり下る花筏【羊】万◎・仁〇
03花散りて又来年の逢瀬かな【正】
04ねえあなた花は散ってもなすびあり【千】
05水なくも生まれし池よと蟇集ふ【素】千◎
06艶やかな紅蕊残し花散りぬ【万】仁
07今日はハレ大谷翔平十二三振【行】
08夜桜や幽女手招き闇揺れる【羊】千・万
09ひまわりやゴッホ描けば花死なず【千】羊
10三日月の尖り和らぐ春の宵【万】素◎・羊
11病む妻の頬に影さす木瓜の花【仁】素〇・万
12南北の花見の旅に生きる今【正】
13春寒に押し競まんじゅうなつかしや【素】
14朝陽障子木揺れめがけて猫はねる【行】正
15散るは花かはた粉雪か西行忌【仁】
16悪童泣き踏み蹴散らされし花畑【千】
17入学式母と並んで服折り目【行】
18湯の宿の窓外に映える花一本【正】
19独り寝の夜半の目覚めに鵺の声【万】
20池揺らす桜と月の二重奏【羊】仁・素・正
21生まれたて結構揚羽は庭の花数ふ【素】万〇・仁・羊今回は
22薬飲まぬ妻を叱りて春夜更く【仁】
23菜の花を眺める余裕捨てし我【千】正◎・素
24羽田空港つばなをなでて宙かへり【行】
25邂逅と別離に添うる桜かな【万】正〇
26田植終え郭公と蛙の声のどか【正】
27ほやほやの中二の孫と谷根訪ひぬ【素】
28酒持って来い天下御免の花の下【羊】千
29幻聴の海鳴り止まず外は雪【仁】羊◎・千
30モンゴルの春行く如く羊雲【万】仁◎
31負けてない枕木の端和たんぽぽ【千】羊〇・万
32父母の骨壺並び春暮れる【羊】千〇
33花づかれ身をやすめをれば青葉ふく【行】素
34浜町に花筏賞づ昼の宴【素】正
35酒処彷徨い求む初夏の味【正】
以上
 

フランス人ジャーナリストの言葉

 投稿者:  投稿日:2018年 4月 7日(土)14時18分15秒
返信・引用 編集済
 


呆れかえるという段階をすっかり超えてしまったような今の政治的状況に対して、あれこれコメントする気もなくしてしまうこの頃だが、たまたまネットで読んだフランス人ジャーナリストの言葉が正鵠を射る、という感じがしたので以下に。すでにお読みになった方もおられるかもしれないけれど。



週プレNEWS / 201845 100
https://news.infoseek.co.jp/article/shupure_102558/の記事。




森友学園への国有地格安売却に関する決裁文書を財務省が「改ざん」していたことが明らかになり、昨年から続く森友問題は新たなステージに入った。

公文書を改ざんするという、民主主義への冒涜とも言える暴挙を、“民主主義国家の先輩”フランス出身のジャーナリストはどう見ているのか?

「週プレ外国人記者クラブ」第113回は、仏紙「ル・モンド」東京特派員、フィリップ・メスメール氏に聞いた――。


***

─国会では先日、衆参両院の予算委員会で佐川宣寿(のぶひさ)前財務省理財局長が証人喚問を受けましたが、「公文書改ざん」はメスメールさんにとっても驚きでしたか?

メスメール 正直に言うと、あまり驚いてはいません。むしろ「改ざんの事実が明らかになったこと」に驚いたと言ったほうがいいかもしれません。朝日新聞の報道によって大きく動き出したわけですが、私はこの問題に関してこれまで自分が見聞きしてきたことのすべてが「日本の民主主義というシステムが、あらゆるレベルで深刻な病に侵されている」ことを示しているように思えてなりません。

─あらゆるレベルで、とは?

メスメール 政府も官僚も国会も司法もメディアも、そして国民もです。まず、政府と官僚ですが、森友問題は安倍首相率いる政府と、財務省という行政機関、官僚組織の非常に歪(いびつ)な関係に端を発した問題です。その過程で財務省が公文書改ざんという、常識では考えられない行為に出たことが明らかになった。

近代的な民主主義国家において、公文書の信頼性とは「行政の信頼性」を根元から支える文字通りの「根幹」であって、それを省庁が組織的に改ざんするなどあり得ない。それは行政の信頼そのものを損なうことを意味するからです。

第二に国会です。財務省が改ざんした虚偽の文書によって国会が欺(あざむ)かれたにもかかわらず、国会はこの問題を徹底的に追及することができていません。自民・公明の与党はもちろんのこと、野党ももっと厳しく、もっとしつこく、政府や財務省の責任を追及すべきです。

第三に司法ですが、一連の出来事に対して「司法の独立性」を示せていないように思います。昨年7月に補助金詐欺容疑で逮捕された籠池夫妻は、国有地売却問題では起訴すらされないまま9ヵ月も拘留され、息子さんですら面会が制限されているという異常な状況が続いていますが、これはどう正当化できるのか? まるで政府にとって不利な証言をしかねない人物を司法が「人質」に取っているような印象です。

そもそも、改ざんの事実が明らかになり、それを財務省も認めているにもかかわらず、佐川氏も含めて、それに関わった可能性のある人たちが未だに自由な身のままでいるのは信じ難いことです。

─検察は現在、任意で捜査を進めているようですが…。

メスメール 民主主義、官僚制の根幹を揺るがす大事件が起きているのに、不正行為を働いた人たちが未だに「野放し」であるのはおかしいでしょう? この状況では証拠隠滅の恐れもあるし、他の関係者と口裏を合わせることもできる。財務省内ではこの問題に関連して自殺者まで出ているのですから、証人の身柄の保護という意味でも、検察が強制権のある形で捜査を進めるべきだと思います。

さらに言うと、「第4の権力」とも言うべきメディアもこの問題を徹底的に追及できていない。もちろん、改ざんを最初に報じた朝日や毎日、東京新聞などはかなり熱心に報じていますが、そうでない新聞も少なくない。TVももっと多くの機会でこの問題を取り上げ、ディベート番組なども流すべきだと思うのですが、現実はそうなっていません。

そして、最後に国民です。この問題についてもっと大きな声で怒りや疑念を訴えるべきなのに、デモに集まるのはせいぜい数千人規模でしかない。これがお隣の韓国なら、全国で百万人近い国民が怒りの声を上げてもおかしくないと思います。これほど酷い問題が起きても、日本人には権力に対して自ら異を唱え、それを目に見える行動で示すことを「良しとしない」雰囲気があるように感じます。

民主主義の基本はひとりひとりの国民が「主権者」としての自覚を持ち、自分たちの声を政治に反映させることに他なりません。ところが、日本は政治に無関心な人が多いし、関心があっても自分の意見を積極的に発信しようとしない人が多い。若い人たちに「民主主義の危機だ」と言っても「よくわからない」と答える人が多いし、高齢化で日本社会全体が保守的になっているようにも感じます。

政府も官僚も国会も司法もメディアも国民も、日本の民主主義を構成するすべての人たちが表面上はそれぞれの役割を果たしているように見えて、実際には「民主主義というお芝居」を演じているだけなのではないか?という皮肉すら言いたくなってきます。

それは森友問題に限ったことではなく、加計学園問題、前川喜平元文科次官の講演に文科省が介入した問題、そして南スーダン派遣に続いてイラク派遣でも「なかったものが出てきた」自衛隊の日報問題などについても共通しているように思えます。

─日本の民主主義が危機に陥っているのは、国民にも理由がある…と。ところで、佐川氏の証人喚問を見た印象は?

メスメール まず感じたのが、彼が国会に対して敬意を欠いているという点です。財務省理財局という、かつて自分が責任者を務めていた組織が公文書の改ざんという絶対にあってはならない行為を組織的に行ない、改ざんされた文書で「国民の代表」である国会を欺いた。その事実を認め、自分がその責任者であることをハッキリ認めているにもかかわらず、佐川氏からは国会への敬意が全く感じられませんでした。これは大変に酷い、許しがたいことだと思います。

証人喚問で佐川氏は、安倍首相や昭恵夫人、財務大臣らの「指示」を明確に否定しました。それはおそらく事実なのだと思いますが、表面上の事実であっても「真実」ではないと思います。常識的に考えて、公文書改ざんのような行為を首相や財務大臣という要職にある人物が具体的・直接的に指示することなどあり得ないからです。

では、それを間接的に示唆する何かがあったのか? あるいは、いわゆる「忖度(そんたく)」で財務省の官僚が政権の意向を感じ取って公文書改ざんにまで手を出してしまう両者の関係性が存在したのか?というのが「真実」に関わる部分であるはずです。

この一件を見て私が思い出したのは、17年前の2001年にあった、NHKのドキュメンタリー番組「ETV2001」の内容に自民党が干渉したとされる問題でした。従軍慰安婦の問題など「日本の戦時性暴力」を扱ったドキュメンタリー番組がなぜか放映前に自民党の政治家にチェックされ、当時の官房副長官だった安倍氏がNHKの役員を呼び出して「事情を聴いた」後、局上層部の指示で番組内容が大幅に再編集されたと言われている事件です。

この時も安倍氏は編集のやり直しを「指示」したわけではなく、その内容に「疑問」を示しただけなので、いわゆる検閲にはあたらないと主張していたのですが、現実には政府の意向を忖度してNHKの上層部が番組内容の変更を指示してしまったわけでしょう。おそらく今回の財務省による公文書改ざんでも、それと同じようなことが起きているのではないかと思いますが、仮に具体的・直接的な指示がなかったとしても、今述べたような「真実」があるのだとしたら、それは民主主義にとって重大なダメージを与えることになります。

一連の出来事が示すのは、「日本の民主主義の深刻な病」そのものです。これと同じことがフランスで起きれば、間違いなく政府は吹っ飛んでしまいますし、当事者は確実に処罰されることでしょう。そして、国民は権力に向けてもっと大きな怒りの声を上げるはずです。

日本の民主主義が本当に危機的な状況にあるということを、多くの日本人は気づいていない。私にはそう思えてなりません。

(取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪)

●フィリップ・メスメール
1972年生まれ、フランス・パリ出身。2002年に来日し、夕刊紙「ル・モンド」や雑誌「レクスプレス」の東京特派員として活動している 。
 

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