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のしてんてんさん、
はじめまして、木村です。
このようなサイトに起こし下さって恐縮します。
以前、ハコさんのサイトでジョイント展を目にし、サイトを拝見させていただき、
鉛筆画でこんなすごい方がいるんだなぁ、と大変感心しました。
その時、どこか心象的な宇宙という視点で通じるものがあるなぁ、、と思いました。
宇宙論はやはり、スパイラルなんですね、僕も同様に考えています。
極大から極小にいたるスケール感では、例えば我々という一個の人としての
基準がなければ、そのスケールを比較するものがありませんが、
それは大きな生命でも小さな生命でも当てはまることでしょうし、
それぞれの存在にとって、やはり同様に極大と極小の世界があるわけで、
全ては相対的な関係なのでしょうね。
おそらく、宇宙自体はそのいずれもないんじゃないかとさえ思います。
始まりもなければ、終わりもない世界・・それを推し量る時
スケール感がないと、我々は把握できないので使用している、みたいな感覚。
例えば僕はこう思うんですが、星空で大きな望遠鏡でやっと見えるような、
それこそピンの先よりも小さな小さな銀河系の光を探す場合、肉眼では認識できないほど
小さいミクロンのサイズで輝く銀河の光は、それほど小さくても銀河の端から端まで
は10万光年もかかってしまう、というスケール感、これってすごいと思います。
ピンの先より小さくみえる銀河系の直径の端まで到達するのに、例えば10万年かかる
ということは、その中の星雲から恒星から生命から分子から原子・電子まで全てが小さく見えてるわけで、
それらの星の光をここまで届けている、この空間の正確さ、スケール感、存在感、
僕はこれってすごい!!って思うんです。
のしてんてんさんも、おそらく同じように感じていることと思います。
何気なく我々の周りにあるこの空間という存在、これ自体の中に
極大も極小も包括できるだけの包容力というか、存在感があって、
どんなに小さな命でも忘れ去られることはないんだな、と思うと
ちょっと嬉しくなるんです。
我々はスケール感がないと判断に困りますが、この空間自体には
スケール感などというもの最初からないのかもしれませんね。
なので、スケール感は生かされいる側の我々のこの宇宙を理解するための
一つの知恵なんでしょうね。
それは光と色彩との関係のように、色彩が無色透明な光によって
認識できるのと似ているかもしれません。
一見矛盾するような事が、この宇宙では始めからそうなっている。
何か、鉛筆で描く宇宙を描いていると、
モノトーンだけに、そんなことをふと考えてしまいます。
でも僕は、あれこれといろいろなスタイルの画風ににチャレンジしたい性格
のようで、今はわんこのフィギュアなどを制作しています。
でも全てのスタイルは同じ一つのものの側面 だと思っています。
のしてんてんさんの作品を拝見してますと
鉛筆だけで、これほどまでに統一感がとれ世界観が広がるのか、、と
感心してしまいます。そしてその作品数のすごさ、恐れ入ります。
こちらこそ、いい勉強をさせていただきました。
いろいろひとり言が多くてすいませんでした。
ありがとうございました!
☆木村
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