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昭和の体育館

 投稿者:ババアリ(笑)  投稿日:2017年 9月21日(木)08時19分49秒
  体育館ではなく「会場」ですが
田園コロシアムなんか懐かしいですね。
三沢タイガーのデビュー戦とか観ましたよ。
 
 

昭和の体育館

 投稿者:一匹狼メール  投稿日:2017年 9月20日(水)18時17分38秒
  初投稿です。
前田VSアンドレが行われた、我が地元の津市体育館(三重県)が
今月一杯で閉鎖となります。
当時、生観戦した興行が昭和プロレス史に残る一戦になろうとは、、、
隣県の聖地 愛知県体育館も移転が検討されているそうで、
昭和の名会場が、どんどん無くなっていきます。
ミック博士、プロレス会場特集のマガジンなんか、どうでしょう?!
 

10・21イベント告知

 投稿者:コブラ  投稿日:2017年 9月20日(水)17時42分29秒
  水道橋のプロレスショップ闘道館にて、私のソロイベント第5弾「昭和プロレステーマ曲史論1983」の開催が決定しました!
今回はカブキ・前田など昭和58年のテーマ曲を、秘蔵映像も交えてマニアックにご紹介します。
そして司会は流智美さん!

10月後半は東京と大阪でテーマ曲三昧!

https://www.toudoukan.com/page/$/page_id/3427/

【日時】10月21日(土) 開場 15:40 開始 16:00
【場所】闘道館
【参加費】3,000円
【お申し込み方法】
闘道館(03-3512-2080 / info@toudoukan.com)まで
「イベント名:昭和プロレステーマ曲史論1983」「お名前」「お電話番号」「申込人数」「イベントを知った経緯」をお伝えください。
※参加費をお支払いいただいた順に整理券をお配りいたします。
当日の開場時間に、整理番号順でご案内いたします。
 

(無題)

 投稿者:ムタ  投稿日:2017年 9月20日(水)11時27分57秒
  面白い企画発見w
風俗とプロレスって似てるよな

http://fuzokudx.com/kanto/shop/ozsakae/contents/movie/101824.html

 

ボビー・ヒーナン逝去

 投稿者:太秦判官  投稿日:2017年 9月19日(火)11時24分37秒
  WWEより公式リリースが出てます。

ニックと一緒に来日してほしかったですね。
ご冥福をお祈りします。

http://wwe.co.jp/article/2017/09/1452.html

 

ボビー・ヒーナン逝去

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 9月18日(月)19時42分19秒
  ボビー”ザ・ブレイン”ヒーナンが9/17、73歳で亡くなったそうです。
https://www.si.com/extra-mustard/2017/09/17/bobby-brain-heenan-death-wwe-legend
 

ネルソン・ロイヤル

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2017年 9月13日(水)09時52分3秒
  S・Oさん、ネルソン・ロイヤルと言えば、この初来日の時ではなく、その翌年か翌々年あたりにまた来日したときかと思いますが、NET(10ch)のテレビ中継のある試合に出て来て、猪木のバックドロップを食ってフォール負けしたときに、すぐさま起き上がって来て、いかにも、「何事も無かった・・全く効いていない・・。」という風にアピールしているのを見て、「鼻っ柱だけは強い奴だなあ・・。」と思ったのを思い出しますが、
あのときに、放送席に座っていた遠藤幸吉さんが、若い後輩の猪木に一発でやられてしまったネルソン・ロイヤルに如何にも同情するように、「やはりですよね、ネルソン選手としてみればですよね、やはりですよね、相当に悔しかったろうと、私は思いますね・・。」というようなことを話して解説するのを聞き、小生、可笑しくて可笑しくて、思わず、テレビの前のソファーから転げ落ちてしまったのを、思い出します・・。
 

ヘニング・ウィンダム

 投稿者:キウイ  投稿日:2017年 9月12日(火)12時48分6秒
  現在WWEでコンビを組んでいる、カート・アクセルとボー・ダラス、その昔彼らの祖父同士は(ラリー・ヘニングとボブ・ウィンダム)日本でIWA世界タッグチャンピオンになっていた事を知っているのかと興味があります。
ヘニングとウィンダムのコンビは強力タッグで、日本陣営が何度かチャレンジしてようやく奪回した記憶があります。
 

後楽園シリーズ

 投稿者:S・O  投稿日:2017年 9月 9日(土)17時33分59秒
  やっと写真見つけました。ちょっと欠けてますが。
ネルソン・ロイヤルが参加しているので昭和44年だと思われます。

ミック博士、べたべた画像ばかり貼ってすみません(笑)
 

後楽園ホール

 投稿者:ミック博士メール  投稿日:2017年 9月 6日(水)20時44分24秒
  SOさんご指摘のようにTVマッチ用の会場でもあったと思います。
画像をはっておられるダイナミックシリーズのほかにも1週間に1回だけ後楽園で試合をしたシリーズはほかにもあります。
 

re: 後楽園ホール

 投稿者:S・O  投稿日:2017年 9月 6日(水)18時08分39秒
  Jumbo Aokiさん、日プロがリキパレスにかわるメッカにと考えていたせいなのかどうか、国際プロレスはある時期まで後楽園ホールを使えなかったそうですね。

この昭和44年2~3月についてはいずれも金曜日なので、もしかしてテレビマッチ用だったのかな? なんて想像しています。手元に放映リストでもあれば確認したいのですが。あとこの時期だったどうか、若手の試合を中心にした番組もあったらしいので(1980年代にもありましたよね)、その収録用に、とか。ちょっと考えすぎですけど。

 

(無題)

 投稿者:シウマイ弁当  投稿日:2017年 9月 6日(水)01時18分22秒
  https://www.google.co.jp/search?q=%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%AB%E3%80%80%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch&imgil=wPy1Ax2yJ8ROiM%253A%253BnjEiY3CPCxXGyM%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fwww.skyspa.co.jp%25252Fblog%25252Farchives%25252F14032&source=iu&pf=m&fir=wPy1Ax2yJ8ROiM%253A%252CnjEiY3CPCxXGyM%252C_&usg=__OY6oxljdyGq-0XWCEwL58tqZGwg%3D&biw=1600&bih=844&ved=0ahUKEwihw5byuI7WAhVBu5QKHZyuBDEQyjcIPw&ei=9s2uWaHwOsH20gSc3ZKIAw#imgrc=wPy1Ax2yJ8ROiM:&spf=1504628224422


横浜スカイビルの画像
 

後楽園ホール

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2017年 9月 4日(月)11時07分52秒
  日プロが後楽園ホールをよく使用したのは、何よりも、あのリキパレスのようなプロレスの本拠地となるような会場が欲しかったのでしょうが、
日プロがよく後楽園ホールを使いはじめたのは、確か、猪木が丁度日プロに居ない頃の、言わば馬場全盛の頃でしたから、もしかしますと、「馬場と日テレの特別な関係」によるものなのかも知れませんね・・??
 

re: 昭和44年3月28日

 投稿者:S・O  投稿日:2017年 9月 3日(日)17時31分37秒
  初投稿様、はじめまして。どうもありがとうございます!
まさか当時ご覧になっていて、しかも詳しくご記憶されている方がいらっしゃって感激です。

スタジオにレスラーを招いて展望を聞くという、オフ企画とでもいうのでしょうか、私がプロレスファンになってからは見られなかった演出で、逆に新鮮です。それにワールド・リーグ戦というのが当時の一大イベントだったのだろうと想像します。

ところで、私が参照した熱戦譜というのは原康史著『激録!馬場と猪木』第7巻なのですが、これを見ますと、昭和44年3月28日の前、3月7・14・21日と、3週続けて後楽園ホールのみの興行という不思議な日程なのです。しかも〈馬場×魔王 世界戦シリーズ〉の前も、2月14・21日と単発の後楽園大会のみなのです。
そういえば、うろ覚えですがホールのバルコニーに「後楽園シリーズ」と書かれた横断幕がはられた写真を見たことあるような気がします。(もしかすると「ダイナミック・シリーズ」の勘違いかもしれません)

なぜ日プロはこんなに後楽園ホールばかり押さえてしまったのでしょうか(笑)
 

昭和44年3月28日の放送は。

 投稿者:初投稿  投稿日:2017年 9月 2日(土)22時37分43秒
  S・O様が書かれていた昭和44年3月28日の放送ですが、私はその頃、少年プロレスファン絶頂期でしたので(いつものように)視聴しておりました。
内容は、次週から開催となる「第11回ワールドリーグ戦の展望」という感じの内容でした。
スタジオに日本側出場選手を招いて、司会は清水一郎アナウンサーだったと記憶しています。
参加外人選手の過去の来日時の試合がいくつかダイジェストで流され、その中に、前年の馬場vsブラジル2連戦もあったという訳です。(時間は短かったです)
馬場からインターを奪取したレスラーは、昭和44年の時点ではブラジルしかいませんでしたから、当時の少年ファン(だった自分)には、特別な存在でしたね。(まだ、花束を喰べたりはしていませんでした)
番組自体は、1時間まるまる「次シリーズの展望」は無理だったのか、後半の方は前シリーズ終盤戦のタッグマッチで埋めていたと思います。
 

テレビ欄

 投稿者:S・O  投稿日:2017年 9月 1日(金)19時09分1秒
  連投失礼いたします。

いまコンビニ限定で(?)発売されている「昭和懐かしのヒーロー番組 そうだったのか!最終回」というムックには、各番組の最終回の日のテレビ欄が載っているのですが、なかに昭和44年3月28日のものがありました。

当日は金曜日で、もちろん夜8時には『日本プロレス中継』があるのですが、カードは「インターナショナル選手権 ジャイアント馬場対ボボ・ブラジル」とあります。
はて、この時期にブラジルとの防衛戦はあったかな、と当時の熱戦譜を見てみると、直近では3月5日に、大雪に見舞われたという東京体育館でのザ・デストロイヤー戦がありました。しかしそれ以降、防衛戦の記録は見当たらず、4月5日には第11回ワールド・リーグ戦が開幕しているようです。

ということは、この日の中継は “幻のインター防衛戦” だったのか、あるいは想像ですが、W・リーグ戦に参加するブラジルの来日をあおるために、予告編として前年6月のインターをめぐる攻防を再放送したということなのでしょうか。

もし後者だとしたら、まだ家庭用ビデオもない時代ですから、きっとファンは大喜びだったでしょうね。
 

ピート・オースチン

 投稿者:S・O  投稿日:2017年 8月30日(水)12時28分44秒
  存 英雄さん、どうもありがとうございます。
レスラーのデータ管理をしている素晴らしいサイトがあるんですね~。

Pete Austionということは、もしかして当てずっぽうで言ったピート・オースチンという名前かも知れないのですね。画像を拝見しますとイメージが変わってしまっていて同一人物かどうか断言しかねるのですが、こちらのAustin選手もどうも素性がよくわからないということなのでしょうか? でもオースチンという名前もそう多くはないでしょうから、やはりこのピートというのが正解と考えて良さそうですね。
長年の疑問がまたひとつ解決したようで感謝にたえません。どうもありがとうございました。

ところでマガジン43号のゲストに清水勉さんを迎えられていますが、このプロレス初観戦の時にも印象的なことがありまして、このシリーズはマスカラス兄弟の入場時はエル・アミーゴのメンバーが騎馬隊を組んでいて、私も花道まで見に行ってうらやましくて仕方なかったのですが、田園コロシアムの通路というのが狭くて、確か天井も2メートルあるかないかくらい低かったんですね。
だから『スカイ・ハイ』が始まって「よし、行くぞ!」と待機していた騎馬隊が立ち上がると、マスカラス兄弟が天井にぶつからないように身をかがめたりして、子供ながらに “みんな大変なんだな~” と思った記憶があるのです。

あの田コロの通路、馬場さんやアンドレも通っていたんですよね、きっと。
 

Pete Austin

 投稿者:存 英雄  投稿日:2017年 8月30日(水)02時05分5秒
  S・Oさん、たいへん興味深いポスターに、目を惹かれました。
公開いただき、ありがとうございます。

P・オースチンは初めて名前を耳にするレスラーで、確証は特に無いのですが、
この画像の選手=Pete Austin でしょうか?
http://www.wrestlingdata.com より)
 

P・オースチン

 投稿者:S・O  投稿日:2017年 8月29日(火)18時49分29秒
  先日、自宅の押入れから懐かしいものが出てきました。

昭和53年、全日本プロレス「第2次サマー・アクション・シリーズ」のポスター。これは地元のレコード屋でプロレステーマ曲集のLPを買ったらくれたもので、マスカラスが大好きだった私は大喜び。会場・日時の欄は、ちょうど8月24日の田園コロシアム大会をプロレス初観戦として行くことになっていたので、自分で書き入れてしまいました。

見て思い出したのですが、参加選手の中でP・オースチンという外国人レスラーがいますが、この人来日しなかったのです。代わりに来たのがムース・モンローという選手で、確か別のポスターでは写真もモンローに差し替えられていたはずです。早めに来日とりやめになったのか、このオースチンについては当時のプロレス雑誌もほとんど紹介していなかった気がするのです。
そこで気になっているのは、このP・オースチンの「P」が、パットなのか、ポールなのか、ピートなのか、あるいは別の名前なのか、それだけが知りたいのです(笑)

自分の中では仕方なく「パディ・オースチン」なのです。

 

月野景史様

 投稿者:コブラ  投稿日:2017年 8月28日(月)21時26分4秒
  もちろんご記憶が定かではないケースも承知の上でお伺いさせていただいていますし、少しでも可能性があるならその線で調べてみるというのは無駄ではないと思っています。
むしろあやふやでも、そういった情報の欠片でもご教示いただけるのは研究者として大変嬉しいです。

確かにローズクラスに曲があると逆に印象に残ってしまうかもしれませんね(笑)。
 

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