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スパイロス・アリオンに対する評価

 投稿者:マードック  投稿日:2009年11月30日(月)00時06分44秒
  昭和プロレス時代(特に昭和40年代)、「まだ見ぬ強豪」という言葉がはやりましたが、その中で、あるファン投票の結果「最も呼びたいレスラー」のNo1が「スパイロス・アリオン」No2が「ミル・マスカラス」となり、特に「アリオン」は一度は国際プロレスに来日が決まっていながら、日本プロレスが妨害をして、その翌年、日プロがアリオンとマスカラスを同時に来日させるという快挙(暴挙?)を成し遂げています。

 その中で、マスカラスについては、某K・T記者の熱烈な支持もあり、初来日の1年程前から、ゴング誌で特集が組まれる程の入れ込み用。

 実際に来日してみると、マスカラスに対して馬場さんは「とても俺の相手じゃない」と最初から鼻にもかけなかった(猪木にまかせるよという意味も含めて)いうのは有名な話ですね。だから、試合中、マスカラスのドロップキックを、馬場さんは手で払いのけるという、ちゅっとプロレスラー馬場さんらしくない(相手の見せ場を失わせてしまうという)行為にでています。

 一方、余りのマスカラス人気のせいか、特別アリオンファンではない私からみてもアリオンが気の毒な気持ちになったものです。

 そんな中で行われた、馬場対アリオンのインター戦、私もTVで観ましたが、後年云われるほど、アリオンが木偶の坊のような試合展開では決してなかったと思います。確かに、当時のWWWF(ニューヨーク地区)を象徴するような、サンマルチノタイプのパワー・ファイターでしたが、この対馬場戦で見せたファイトは、体格的にも決して馬場さんにも見劣りしないし、彼なりの見せ場もしっかり造っていた好試合だったと思います。

 今、この時の馬場対アリオン戦のビデオが残っていれば、そのことが良くおわかり頂けるのではないかなと思い、残念です。
 これも、当時のゴング誌が、余りにマスカラスに肩入れし過ぎた結果の犠牲者にアリオンがなっってしまった気がしてなりません。
 ただ、アリオンに関していえば、その後の2回目以降の来日では、体を絞りすぎてしまい、1回目の来日時より確かに見劣りしていったのは事実です。

 このような、初来日時に馬場選手とインター戦を行って、その後の評価の低さとは別に、実際は良いファイト振りをみせてくれたレスラーとしては、他に、モンゴリアン・ストンパーとブルドック・ブラワーがいます。モンゴリアン・ストンパーとのインター戦は、確か1対1の引き分けだったように記憶しておりますが、馬場さんが引き分けに持ち込むのがやっとのような好ファイトを、ストンパーは、あのストンピングだけで魅せてくれたような気がします。(このストンパーも、国際プロレスへ来日するようになってから、B級レスラー的になってしまいましたが。)

 そして、ブラワーについては、馬場が空手チョップを彼の胸板・そして脳天に浴びせてもびくともせず、パンチで応酬してくるという、まさにブルーザー同様の頑丈な肉体を持ったパワー・ファイターでした。

 アメリカでは、ブルーザー対ブラワーの試合は、好カードとして何回も組まれたようですが、日本で実現してくれればなぁと思ったものです。この二人の年齢があと10年若ければ、日本でも二人の試合が見れたかもしれません。
 

レスラーの移籍

 投稿者:MT  投稿日:2009年11月29日(日)23時38分20秒
編集済
   当時、ロビンソンの全日移籍は私も本当に残念でした。また、ブロディーが前田との試合を前に電撃的に全日に回帰したのもたいへんショックでした。ブロディーの場合はインタビュー等で前田への敵意(前田が今までのプロレスは偽のプロレス発言に、激しく激怒し、なんだとプロレスは元来アメリカ人のものだ!・・みたいな発言があった記憶があります)を示していただけに、なんともビジネスライクというかなんというか「それはないだろ!外人なんてそんなものなのかな?・・」と思いました。タイミングがわるすぎると・・・まあ、今から思うと全日は意図的にそのタイミングで高額なギャラで移籍させたのかもしれませんが・・・・
 そう言えばダイナマイトキッドがこのようなことを言っていた記事の記憶があります。国際から新日に移籍したとき元国際プロレス関係者に「お前はインターナショナルを裏切っった」となじられたことを回想し「俺はプロだしギャラのいいところで試合するのは当然だろ?日本人の考え方というのはどうもよくわからないな!」みたいなことです。
 ところが、以前どなたかが紹介して下さった(すみません。どなたかは覚えてなくて・・)マスクドスーパースターのサイトの文章で「自分は父親から人を裏切ってはいかんと教えられた。」というコメントがあり、それが新日にずっといた理由であったようです。まあ、外国人もいろいろなんですね。とりとめのない話で失礼しました。
 

馬場さんのロビンソン評価

 投稿者:マードック  投稿日:2009年11月29日(日)23時24分36秒
  馬場さんの、ロビンソンに対する評価は、カール・ゴッチに対する評価同様、余り高くないですね。しかもロビンソンに対しては、「リング上では、いかにも紳士的な振る舞いをしているけど、リングを降りたらとても(英国)紳士とは思えない」とまで云っています。

 馬場さんが彼を引き抜いたのは、当時、全日のドル箱スターだった、アブドーラ・ザ・ブッチャーに対するベビーフェイスのレスラーが一人でも新しく出てくれば、益々(特に地方)興行的にプラスになるという、(レスラー馬場としてよりも、プロモーター馬場の意識が強く働いたからではないでしょうか?)
 

ロビンソン

 投稿者:ひがわりナッツ  投稿日:2009年11月29日(日)23時03分43秒
  ロビンソンが新日に参加し帰国する時、外人係の杉田氏を腹いせに殴ったという
話がありますよね。ギャラを値切られた話も良く出てます。

ならば、なぜ新日はそういう扱いをしたのか?が気になります。
猪木戦でシュートをしかけた、とか、蔵前以外の集客には余り貢献しなかった
とか諸説あります。

ロビンソンは新日参戦当初?のインタビューで猪木とは何度も闘いたいといった
コメントも出してました。

私の邪推では、ロビンソンは全日も熱心に誘っていた。条件も良く、全日参戦に
傾いていたが、最終的に新日に対し全日以上の条件ならという事で参戦した。

ところが猪木や新間の評価は芳しくなく、ギャラを値切られる。
ムカついて素人を殴ったりしたが、全日が改めて最初と同じ好条件で使うか
どうか判らない。だから新日継続参戦の目も残しつつ、全日と交渉再開、
金銭的には良いものの扱いは最初の話より厳しく・・・となった。

でも、当時のロビンソンは既にピークを過ぎていたから、最初から外人
レスラーに甘い全日を”志望”していて、最初から、新日には多少の上乗せ
で一度限りのつもりだった可能性もありますね。

ブリスコは最初から新日は一度限りの約束だったようですね。もっともあの
頃の猪木・新間は彼を高く評価したようには思えないから、仕方なかったかな。
 

>あんだんて様

 投稿者:MT  投稿日:2009年11月29日(日)23時01分28秒
  >鶴田のレフリー暴行

すみません(^_^;)また、やってしまいました(^_^;)ありがとうございます。
 

本当に来日するまで信用できん

 投稿者:猪木ファン  投稿日:2009年11月29日(日)16時57分23秒
   ロビンソンは新日でのギャラが約束した金額より安かったために、全日に連絡を取って移籍した感じがあります。そうなるとこれは引抜ではなく転職になりますが、私たちファンの目からみればやはり引き抜きです。ロビンソンが全日来襲を聞いたとき「また、馬場が邪魔したのか。やっぱり3回くらい来日しないと信用できん。」とまたまた期待を裏切られました。しかしロビンソンは全日移籍後急速にトーンダウンしていきます。特別なギャラを支払ってるわけではなく、また似たような外人は沢山いるのであえてロビンソンを特別扱いにする必要もなかったのでああなったわけですが、全日に入れたのはやはり猪木戦を潰す為でしょうね。これは大木にも言えることですが(大木の場合は瓢箪から駒になった)。馬場は猪木を意識しないとよく言っていましたが、相当、意識してたみたいです。
 ロビンソンのタイプは新日にはいなく猪木もテクニシャンタイプなので、もう少し我慢して新日に残っていればロビンソンの名声とギャラはさらに上がったでしょうね。全日移籍後のロビンソンはその他大勢になった気がします。
 似たようなのには新日のJブリスコがいました。猪木ももっと上手くブリスコを使えなかったのでしょうか?
 しかしザ・シークとアーニー・ラッドとAジャイアント来襲をみたときとても信用できませんでした。特に「ザ・シークは本当に来日するまで信用できん」と思ってたため猪木戦をテレビで見たときは「よくぞ馬場を振り切って本当にきてくれた」と感激しました。
 

レフェリー、馬場・猪木

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2009年11月29日(日)12時33分48秒
編集済
  確かに、レフェリーは暴行されることもありましたが、沖、登喜、樋口、高橋等々、皆、元レスラーなどで強い人ばかりでしたね。
東郷など、ホテルでトルコに襲われて、マスコミから「レフェリーより弱いレスラー」などと呼ばれ、以来、日本ではレスラーとして通用しなくなってしまいましたね。

馬場・猪木の不仲に関しましては、小生は、両雄の若手時代に、馬場が(力道山が?)同期の猪木に唯の1勝もさせなかったことに元々の原因があったと思っています・・。
 

>MT様

 投稿者:あんだんて  投稿日:2009年11月29日(日)07時39分8秒
  >鶴田のレフリー暴行

これは76年10月蔵前大会のインタタッグ戦で、韓国師弟コンビに反則負けで王座転落した時のことです。
ロビンソンに敗れた時(翌77年3月UN戦)では敗戦の悔しさでうなだれていたものの、レフリー暴行などなかったですよ。
 

馬場vsロビンソン

 投稿者:××の異常な愛情  投稿日:2009年11月29日(日)01時29分20秒
  1975年の猪木vsロビンソンのフルタイム引き分けの激闘の後、ロビンソンが単なる新日本へのスポット参戦ではなく外国人選手の主力として参加という話(たとえばワールドリーグ戦への出場とか)を聞いた時、胸躍らせたものです。
が・・・。
ロビンソンが突如全日本参加!と聞いた時はわが耳を疑いました。
1976年の夏、馬場とロビンソンが激突。
日本テレビのアナウンサーが「猪木も勝てなかった相手、猪木も勝てなかった相手!」と何度も連呼・絶叫していたのには正直辟易しました。
試合の方も、馬場のランニングンネックブリーカードロップでアッサリと決着。
これで、馬場とロビンソンの実力差ははっきりしたと言うことで、ロビンソンの相手は専ら鶴田へ・・・。つまり、馬場>ロビンソン=鶴田=猪木 という数式を示し、馬場は暗に己と猪木の力関係を示した、ということでしょう。当時、熱狂的な猪木信者の僕にとっては、このような「暗に示す」といった馬場のやり方は、どうにも納得できないものでした。
 

鶴田のレフリー暴行!!

 投稿者:MT  投稿日:2009年11月28日(土)22時35分4秒
編集済
   流れにあわなくてすみません。ロビンソンの全日移籍で記憶がよみがえってきました。鶴田がロビンソンに惜しくも敗北したとき、よほど悔しかったのか試合後リング上でジョー樋口を暴行した場面です。記憶はあいまいですがあれは凄かった。容赦ないストンピングの連打!!驚きました。別に判定に問題があるわけでなかったのは明らかな試合でした。あれは完全な鶴田の八つ当たりだと思いました。たしか若手レスラーたちがあわててとめたのかな??ん?すみません。ちょっと自信がなくなってきました。馬場もとめていたような?もしかしたら馬場とのタッグマッチでの出来事だったかもしれません(^_^;)
 それにしても、あのあとはどうなったのでしょうかね?私の推察では鶴田は馬場に大目玉をくい、ジョー樋口に謝罪したのではと思います。
 それにしてもジョー樋口といいミスター高橋といい結構レスラーに暴行されていたと思うと、タフですね(^_^;)
 

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