teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


ジャイアント馬場さんの奥様が逝去

 投稿者:爺さん  投稿日:2018年 4月23日(月)12時24分44秒
  https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/988774/

ジャイアント馬場さんの奥様である馬場元子さんが4月14日に亡くなられていたとのこと。
肝硬変だったそうです。
馬場さんが全日本プロレスを旗揚げされたとき、元子さんが懸命になって
裏方として支えていらっしゃったからこそ、王道プロレスがあったのかなと思います。
ただ、馬場さん亡き後の全日本プロレスで、経営の方向の食い違いで、
三沢さんや小橋さんらと袂を分かつ結果になってしまったのが残念でした……

天国で馬場さんと共にサンマルチノやキニスキー、アンドレと昔話を語り合っておられることでしょう。
本当にご苦労さまでした。合掌。
 
 

>牧童コンビ

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2018年 4月23日(月)10時47分0秒
  >二階指定席C様

ご連絡ありがとうございます!!

しかし、それにつけても、一言の訂正・謝罪等もなく、惚けて、黙って、そっと直しておくとは・・、本当に、今の「メディア」って、いったい、何なんでしょうね・・???
 

牧童コンビ

 投稿者:二階指定席C  投稿日:2018年 4月23日(月)09時45分15秒
  >Jumbo Aoki様

いつもありがとうございます。再検索すると、牧童コンビに直してありました。
 

ブルーノ・サンマルチノ

 投稿者:月野景史  投稿日:2018年 4月22日(日)11時17分1秒
  ブラジル、エリック、キニスキー、ブルーザー、クラッシャー、コワルスキー・・・、
日プロ時代の馬場のライバルとされたレスラー達は実は馬場より一回り年長のベテランが多かったですが、
サンマルチノとは3歳違い、同世代のライバルにして盟友でした。

大都市ニューヨークを拠点にMSGの帝王として、20年近く圧倒的な人気を誇った稀有なレスラーだった思います。
私が海外のプロレス事情なども知るようになった時のWWFは既にバックランドの時代でしたが、
同地の英雄として最も人気があるはサンマルチノ、といった記事をよく見かけました。

1999年の馬場の追悼興行に来日した際の風格ある姿も印象に残ります。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/wweg-a7ad.html


 

日刊スポーツ

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2018年 4月22日(日)06時44分30秒
  >二階指定席C様

小生の子供の頃には、「日刊スポーツ」がプロレスの記事を一切載せないで、「スポニチ」が毎朝プロレスの記事を載せてくれていたので、もっぱら、「スポニチ」を、亡父が取ってくれており、毎朝、前夜の「力道山の暴れっぷり」と「長嶋の打率」を、専ら「スポニチ」で確認してから学校へ行っていた子供の頃を思い出します・・。
お恥ずかしい話ですが、「ゴング」誌発刊のとき、「日本スポーツ」を、この「日刊スポーツ」と勘違いしてしまい、絶対に「ゴング」誌など買ってはいけないね・・などとまで、亡父と話していたほどなのです・・。

今の若い記者さんが、「牧童コンビ」をご存じないのは仕方ないとしても、上司や校正部門等のチェック等にも全く引っかからないで、誤ったまま・・というのも、かつての「日刊スポーツ」がプロレス大嫌いだったことの名残り(?)なのかも知れませんね・・???
 

Pジョーンズ氏が死去

 投稿者:二階指定席C  投稿日:2018年 4月21日(土)10時12分32秒
  日刊スポーツの見出し『馬場、猪木と対戦 極道コンビPジョーンズ氏が死去』って、牧童コンビでしょう。  

サンマルチノ

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2018年 4月20日(金)14時39分50秒
  そう言えば、レイ・スティーブンスとドン・デヌーチは、ウイルバー・スナイダー、パット・パターソンらとともに、「一流と呼ばれる割には、小生には、その良さが、どうにも分からなかったと言うか、ピンと来なかったレスラーたち」の言わば双璧なのですが、一緒に来たサンマルチノが凄すぎたから・・と言うか、サンマルチノへの思いが強すぎたから・・だったのかも知れないなあ・・などと言う気もしています・・。  

猪木対サンマルチノ

 投稿者:投稿者X  投稿日:2018年 4月20日(金)13時15分20秒
  ババアリ(笑)さんの
>猪木とサンマルチノはもっぱらタッグでの対戦ばかりですが
>実は一度だけ猪木がサンマルチノに勝ってるんですよね
昭和46年暮れのシリーズ
11月27日、川崎市体育館での
馬場&猪木対サンマルチノ&ドン・デヌーチですね。
1本目、サンマルチノが猪木をフォール
2本目は、猪木がサンマルチノをフォールでタイ。
3本目は、馬場がデヌーチをフォール。


猪木対サンマルチノのフォールの取り合いは
これだけだと思います。
両者ともに「取られっぱなし」では
メンツが立たないでしょう。
 

追悼サンマルチノ

 投稿者:アルゼンチンズマ  投稿日:2018年 4月20日(金)11時23分38秒
  ご冥福をお祈りします。やはり世代的には昭和50年のPWF戦が印象にあります。日大講堂、ストで客入りが悪かったとか。個人的にはその日に限り、TVの映りの良い親戚宅で観られてラッキーでした。

〉ババアリさん

三本勝負では案外あっさりフォール決着がありましたよね。
 

さらば!人間発電所

 投稿者:ババアリ(笑)  投稿日:2018年 4月20日(金)09時48分8秒
  先程某掲示板で知って飛んできました。

サンマルチノ・・・勿論リアルタイムでは見た事は有りませんが、昔
「Fullすぽーつこれくしょん」で馬場さんとのインター戦を見ました。

良く言われていますが、サンマルチノと言う選手はハッキリ言って器用では無いんですよね。
ベアハッグ、カナディアンバックブリーカー、マシンガンキックこの3点張り。
ただ、馬場さんとは本当に名勝負を残しており、(後モラレスとの夢のタイトルマッチ)
それだけでも超一流といえるでしょう。

ここからは雑誌で知った話です

猪木とサンマルチノはシングルでは当たらずもっぱらタッグでの対戦ばかりですが
実は一度だけ猪木がサンマルチノに勝ってるんですよね。
昭和46年末のシリーズで行われたタッグマッチで(猪木のパートナーは馬場、サンマルチノ
のパートナーは・・・ちょっと失念)確か2本目に猪木がサンマルチノにフォール勝ちしたと有りました。

最後に、デストロイヤー、ブッチャーには長生きして欲しいですね・・・

さらば!人間発電所!

合掌・・・・・
 

人間発電所ブルーノ・サンマルチノ追悼

 投稿者:ミック博士メール  投稿日:2018年 4月19日(木)20時05分29秒
  彼のNYでのカリスマ的な人気がわかる試合。11分ごろにブルーノが反撃する際の観客の爆発的なヒートぶりにご注目!
http://www.dailymotion.com/video/x8pbti
 

カーフュー

 投稿者:ザ・ローン・レンジャー  投稿日:2018年 4月19日(木)09時24分22秒
    今日は朝から気が重いですね。
ベルトの有無など関係無い、存在そのものがチャンピオンでした。
子供の頃の夢対決の一つが新日での猪木VSサンマルチノだったのですが…,オファー拒否の理由を知って夢が実現しなかったにも関わらず、子供心にサンマルチノに尊敬の念を抱きました。
75年の来日時にはジャンボにもWWWF挑戦させたかったですね。
お疲れ様でした、ゆっくり休んで下さいね。合掌……。
 

馬場、サンマルチノ

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2018年 4月19日(木)07時28分8秒
  >しょうまん様
早速のレス、誠にありがとうございます!!
小林が全日本に入団していたら、馬場さんは、もしかしますと、自ら、対小林戦を実現させていたかも知れませんし、小林対サンマルチノ戦をはじめ、凄いパワー対決が、日本でもいろいろ見られましたでしょうね!!!

>爺さん様
何と、サンマルチノが亡くなられましたか!!!
個人的には、サンマルチノが待望の初来日を果たし、控室からリングに向って歩いて来るシーンを見ただけで、もうすっかり感動して涙ぐんでしまい、「馬場よりも、むしろ、更に一層チャンピオンらしいなあ・・。」などと感じたのを思い出します・・。 心より、哀悼の意を表したいと思います!!!
 

ブルーノ・サンマルチノ死去

 投稿者:爺さん  投稿日:2018年 4月19日(木)06時25分16秒
  https://www.nikkansports.com/battle/news/201804190000047.html

“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノさんが亡くなられました。
サンマルチノさんといえば、ニューヨークの帝王として長年君臨され、
マジソン・スクエア・ガーデンで数々の激闘を演じてこられましたね。
日本では若手時代からジャイアント馬場さんと親友であったことが
つとに有名でした。
サンマルチノ自身はあまり海外遠征したがらなかったらしいですが、
馬場さんが亡くなられた時に東京ドームでのセレモニーに
ザ・デストロイヤーさんと一緒に来てくれたのが印象に残ります。

サンマルチノといえば、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットに
首を折られたというイメージを持つ方も居られるのでは(これでハンセンがブレークした)……

だんだん昭和のプロレスも遠くなっていくことを思わずにいられない…… 合掌……
 

心もジャイアントなら

 投稿者:しょうまん  投稿日:2018年 4月18日(水)09時57分57秒
  こんにちは♪

ストロング小林は、母親をとても大事にしていたそうですので、その時に母親の言葉を受け入れたのは、自然な流れだったのでしょう。

では、Jumbo Aokiさんの問いに、私なりの考えを書かせて頂きます。
新日本に於いては、猪木戦以外では脚光を浴びることが無かったかと思います。
マイティ井上が危惧していた扱いに近かったかも知れません。

全日本なら、サンマルチノも参戦していましたし、NWAのトップレスラーとの対戦も有ったでしょう。
猪木と戦ったラッシャー木村に対して冷遇をしてなかった様ですし、マイティ井上も居心地は悪くなかったと話していますよね。

ですから、新日本での実績も有るかと思いますが、入団してからの処遇は、人間性とプロレス技術で馬場は判断したのではないかと思います。
 

小林

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2018年 4月18日(水)07時24分54秒
  本当に、小林が、新日でなく、全日へ行っていたら、きっと面白い試合をたくさん見せることができたと思うのですが、問題は、あのプライドの高い馬場さんのこと・・、「猪木に敗れた」小林を、決して「厚遇」はしなかったのではあるまいか・・??という疑問が残ることです・・。

即ち、国際のトップを張り、新日の猪木には敗れた小林を、逆に、自分や鶴田などの、言わば「引き立て役」に使ってしまったのではあるまいか・・??という疑念が残るのです・・。
その意味で、やはり、新日入りして、小林は、結局、正解だったのではないか・・という気がしますが、皆様、いかがなものでしょうか・・???
 

小林の母親勧めが決め手

 投稿者:zokeinin  投稿日:2018年 4月17日(火)20時04分21秒
  何かの書物で読みましたが、小林が国際を脱退直後に全日本と新日本とで小林争奪戦が勃発し、馬場、猪木それぞれと小林が電話で話している所を小林の母親が別の子機で聞いていてたそうです。その際に猪木は礼節保ち「小林さん」と言っていたのに対し、馬場は「なぁ、小林よ」等と上から目線の言い方をした為に小林の母親が「猪木さんの所へ行きなさい」と勧めたそうな。
 

しょうまん様

 投稿者:ケビンヒューズ  投稿日:2018年 4月17日(火)17時58分6秒
編集済
  小林vsマスカラス、小林vsブッチャーとか面白そうですよね(*^^*)日本人だったらvs天龍、もうちょい後になってvs阿修羅原とか NWA挑戦もアリでしょうね!やはり全日本に行った方が色々と夢があって面白かったんじゃないかな!?  

心もストロングだったら?

 投稿者:しょうまん  投稿日:2018年 4月17日(火)15時53分5秒
  こんにちは♪

インタビューを読みますと、ストロング小林が、闘病中の吉原社長を見舞った際、「草津の虚言を鵜呑みにして悪かった」と、病床で吉原社長は小林に謝罪をして、お互いのわだかまりが無くなったそうです。
国際を裏切った男というレッテルを貼られていますが、草津の小林への陰湿な対応は、国際を出て行かざるを得なかった状況だったかも知れません。

Jumbo Aokiさんが仰る様に、全日本に来ていたら面白かったと思います。
全日本には本格的なパワーファイターがいてませんから、トップ外人との対決は熱戦が期待出来たでしょう。

ケビンヒューズさんは、鶴田とのUN戦が良いとのことですね。
もちろん、好試合が期待出来そうですが、ジャンボ鶴田&ストロング小林組のチームも柔と剛のコンビで、全日本で新しい風景が見れたかも?と思います。
 

ケビンヒューズ様

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2018年 4月17日(火)06時22分18秒
  小生は後年知ったのですが、あの猪木に敗れたあと、小林は、サンマルチノにも挑戦して、「超・夢の対決」をアメリカで実現させていたのですね・・。

確かに、小林は、当時の猪木やサンマルチノらと互角に渡り合った実力者だったわけですから、後年のマイティ井上のそのぼやきも、理解できるような気がいたします・・。
 

レンタル掲示板
/347