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RE:連ドラ

 投稿者:王者の魂  投稿日:2017年 8月19日(土)21時18分23秒
   高視聴率のNHK朝ドラで、はっきり興業日まで読み取れる・・馬場VSサンマルチノ
のポスター!!

  この時代が語れる人が少なくなってきてる昨今・・うれしいインパクトです!!
 
 

思い出すヨーロッパのレスラー

 投稿者:TBSプロレスメール  投稿日:2017年 8月16日(水)11時03分53秒
  とにかく国際プロレスが好きだった。欧州路線に変わらざるを得なかった時期、
アメリカン・プロレスとは違う面白さを見せてくれたレスラー達…
ジョー・コックス、アルバート・ウォール、ジョン・リース、ブルーノ・アーリントン等々
ロビンソンやトニー・チャールスも良いけど彼等もなかなかだったなあ^_^
でも何でこんなに弱いんだろかとおもうようなのも結構いたなあ…
ブル・デービス、ジム・ハジー、エンリケ・エド
阿部レフリーのホイッスルが懐かしい!
 

須丹半仙様

 投稿者:コブラ  投稿日:2017年 8月16日(水)06時23分1秒
  情報ありがとうございます!
入場にジョーズが流れていたという説への確信が一歩前進しました。
あまりにもベタすぎて笑いが起きたのでしょうね(笑)

モラレスは「リパブリック讃歌」に乗っての入場でしたね。
 

なんとなく記憶があります

 投稿者:須丹半仙  投稿日:2017年 8月15日(火)21時02分35秒
   わたしもザ・デストロイヤーとブルー・シャーク(ダン・ミラー)の覆面十番勝負に映画「ジョーズ」の主題曲が流れていたような記憶があります。客席も笑いに包まれていたような気がします。
それと入場曲ではないではないですが、昭和49年の(全日本プロレス唯一の)MSGシリーズ最終戦の東京都体育館での馬場対ペドロモラレスのPWF戦では馬場の入場時に木遣歌を唄うおじさんたちに先導されて馬場が何とも言えない顔をしていました。モラレスはラテン音楽のような軽快な音楽が入場時に流れていたような気がします。
 

連ドラ

 投稿者:キンタローアニキ  投稿日:2017年 8月15日(火)13時50分50秒
  今日のNHKの連ドラで1967年3月7日蔵前国技館のG・馬場VSB・サンマルチノのポスターが映っていましたが、宣伝用のポスターではなく、当の試合らしきポスターで、非常に興味深く視聴しました。ファンにとってはこの様なちょっとした発見、うれしいですね。  

情報お願いします。

 投稿者:コブラ  投稿日:2017年 8月14日(月)17時55分10秒
  昭和51年にザ・デストロイヤーとブルー・シャーク(ダン・ミラー)の覆面十番勝負に映画「ジョーズ」の主題曲が流れた記憶ありとの情報を流智美さんよりいただきました。シャークの入場か、中継内の予告編かまでは覚えてないが、何らかの場面で聞いたのは間違いないとの事。
もし入場で使われていたとしたら、ミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」より1年も早かったわけで、テーマ曲の歴史において非常に重要な出来事となります。

先日、日本テレビの全日本プロレス中継のディレクター梅垣進さんとお話をさせていただく機会があり、この件についてお尋ねしたところ「全く記憶に無いが」と前置きをされた上で「予告編でなら使う可能性があるが、時期的に(マスカラス以前に)入場に使うのは考えにくい」との御回答でした。

言うまでもなくブルー・シャークは「ジョーズ」ブームに便乗したキャラクターであり、当時の空気感からしてテーマ曲の概念が無い時代に使われていたとしても不自然ではないと自分は考えております。

当時の放送をご覧になっており、尚且つ「ジョーズ」についてのご記憶のある方がおられましたら、ご教示いただければ幸いです。
 

テリーに至っては 逆さま(笑)

 投稿者:胴長犬  投稿日:2017年 8月14日(月)10時44分57秒
  ほんまや ^_^ 奴が如何にもたこにもやりそう。  

Reインターナショナル・タッグベルト 鷹の向き

 投稿者:駿河山  投稿日:2017年 8月13日(日)12時55分30秒
  テリーに至っては 逆さま(笑)  

インターナショナル・タッグ ベルト 鷹の向き

 投稿者:胴長犬  投稿日:2017年 8月10日(木)08時52分6秒
  インターナショナル・タッグのベルト、リーダー格が鷹が左を向いた方のベルトを持つとばかり思っていましたが、馬場、吉村組、ファンクスの写真を見るとそうでもないのですね。  

倍賞鉄夫さん死去

 投稿者:爺さん  投稿日:2017年 8月10日(木)07時33分43秒
  新日本プロレスリングの初代リングアナウンサーで後副社長を務め、
アントニオ猪木さんの元義弟(倍賞美津子さんの実弟)の
倍賞鉄夫さんが死去されました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
https://www.daily.co.jp/ring/2017/08/10/0010449814.shtml
 

>1973年頃のマーク・ルーイン

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2017年 8月 6日(日)09時30分54秒
編集済
  松尾バション様、ご丁寧なレス・貴重な情報を、誠にありがとうございます!!
マガジン43号、貴稿を拝読させて頂くのを、心から、楽しみにしております!!!

また、香港興行のパンフレットの画像も、誠にありがとうございました。
小生、1970年代には、よく香港へも出張で行ったのですが、あのアメリカ映画「キングコング」がリメイクされて、当時、香港でも上映されていたらしく、大きな広告の看板に「金剛」として紹介されていたのを思い出します・・。
きっと、「金剛」というのは、KING KONGの広東語読みに非常に近く、「キンコン」とでも読めたのでしょうね・・?? 確かに、ニュアンス的にというか・・、文字の感覚的にもというか・・、キングコングは金剛という文字にぴったりだなあなどと感じたのを思い出します・・。
 

1973年頃のマーク・ルーイン

 投稿者:松尾バション  投稿日:2017年 8月 5日(土)13時56分34秒
  Jumbo Aokiさま、お世話になります。昭和プロレスマガジン43号に『1973年頃のマーク・
ルーイン』という駄文を寄稿した者で、ルーインの大ファンの松尾バションと申します。
さてルーインに関しては、このサイトのレスラー名鑑でも【日本では長く幻の強豪と言われた
が、全日本プロレスの「第1回チャンピオン・カーニバル」に初来日。決勝戦まで進出しファン
を唸らせたが、そのファイトぶりはロープを外したり、粉を振りまいたりするクレイジー・
ファイトで、正統派だと思い込んでいたファンを驚かせた】と解説されていますように、日本で
はアナーキーな狂乱に明け暮れ、しかし本拠地の大洋州ではAokiさまの言われる完全なベビー
フェイスという極端な二重人格レスラーでした。
私の寄稿は、彼が初めて本邦のリングに上がった1973年頃に「松尾的にはルーインをどのように
受けとめたか?」という私的な思い出話のような内容ですので、本拠地での闘いぶりの分析など
には余り触れておらず、Aokiさまのご期待にそえなかった場合は、どうかご勘弁ください。

大洋州そして時々遠征していた「太平洋を臨むアジア各域(日本以外)」においてマリオ・
ミラノ、マーク・ルーイン、キング・カーチスがベビーフェイスだったことは以前に当掲示板
でも話題になりましたが、その際に紹介された「1972年末の彼らの香港興行のパンフレット?
画像」を再度、貼り付けいたします。

☆君子「馬蘭奴=ミラノ」
☆迷魂鎖「李雲=ルーイン」
☆黒覇王「寇帯斯=カーチス」
という漢字による彼らのキャッチコピーとネーム表記は、何度見ても愉快です。
なお迷魂鎖とは、武道術語「絞技」のことらしいです。
 

>マガジン43号

 投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2017年 8月 2日(水)06時50分40秒
  本当に楽しみですね!!
今号では、個人的には、「マーク・ルーイン」のお話が、一番楽しみです。

と言いますのも、小生、個人的には、マーク・ルーインと言えば、「狂乱のラフファイター」のイメージしか無かったたのですが、1980年代の初めに、東南アジアに住んでいました時に、オーストラリアだかニュージーランドだかのプロレスをTVで時々放映しているのを観ましたが、そこで観たマーク・ルーインは、全くの「ベビー」で、まるで、日本での馬場か猪木のように、相手の反則攻撃を耐えに耐え抜き、最後にはあの丸太のような腕で相手を締め落として勝利する・・といった、まさに「正義のレスラー」で、正直、とてもビックリしたからです。

今号の中にある「1973年頃のマーク・ルーイン」というのは、一体、どんなレスラーだったのか・・、とても楽しみです。
 

マガジン43号

 投稿者:王者の魂  投稿日:2017年 7月30日(日)01時04分33秒
  テーマ・初期馬場全日本・・たのしみです。
絶妙のトークや記録に唸っていますが、随所にレスラーへのリスペクトを
再発見できる内容にも期待したいなあ
 

AWAタッグ

 投稿者:まさる  投稿日:2017年 7月27日(木)22時22分57秒
  最近ヤフオクを見ているとロードウォーリアーズのAWA世界タッグのベルトの
レプリカが出品されていますが、American Wrestling Allianceになっています。
最後は Association ですよね?
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t525178196

http://kobekan.blog95.fc2.com/

 

昭和プロレス・マガジン43号

 投稿者:ミック博士メール  投稿日:2017年 7月26日(水)19時55分36秒
  昭和プロレスマガジン43号入稿!
8月20日ごろ完成予定です。本日より受付開始!

■特集■ チャンピオン・カーニバル第一弾
Part1 第1回チャンピオン・カーニバル
Part2 第2回チャンピオン・カーニバル
Part3 第3回チャンピオン・カーニバル
番外編 オープン選手権大会
チャンピオン・カーニバル熱戦譜

■特別寄稿■
「1973年頃のマーク・ルーイン」 松尾バション

■昭和プロレス紳士録■
清水勉(ドクトル・ルチャ)氏 登場!

■連載■
ねひつじのビデオ観戦記「ジャイアント馬場vsザ・シーク」
コブラのスーパーテーマ曲列伝「テーマ曲アルバムレビュー VAP編」

http://www.showapuroresu.com/magazine/magazine43.htm

 

里見選手

 投稿者:新しいプロレス  投稿日:2017年 7月25日(火)17時57分7秒
   私が小学生のころ、身長160センチ、体重160キロの里見選手という紹介記事をプロレス誌でみた記憶があります。きびしい環境になじめずほどなく消えてしまったと記憶していますが、なんだか懐かしい思いがします。
 「プロレスに夢があった」古き良き時代の一コマ…。
 

七月のスターで

 投稿者:道路ブレアース  投稿日:2017年 7月19日(水)21時39分59秒
  研究室トップページの七月のスターにスウィート・ダディ・バンクスが出ていたのがきっかけで元祖スウィート・ダディ・シキの試合映像を見て「いっそこちらを呼んでくれればよかったのに」とか思う夏の夜でした。国際向きかどうかは別として受けたと思うんですがね、シキ。カラー映像だったので晩年でしょうがそれでも来日二回(それも大昔の日プロとUWF)というのが惜しい動きをしてました。  

(無題)

 投稿者:キラートーアカマダおとこ  投稿日:2017年 7月11日(火)22時00分54秒
編集済
   テーズは王座奪回(2度)にも失敗します。プロモーターのエディ クインがその後脱退しカーペンティア=王座を独占しようとします。慌てた本部は適当な理由でテーズに王座を戻します。どうもカーペンティア支持派とテーズ支持派にわかれたため二人王者。戻す前後、それぞれが防衛戦をしております。興行上曖昧にしていたらしいですね。クインにすれば団体名よりも、テーズから奪った正統の流れを組む王座。その後乱立した王座の多くは、カーペンティアの正統性を理由に自前の王座に権威を持たせています。アメリカのファンやメディア(地元以外)はあまり日本ほど関心を持たないのでしょう。
参考に Wrestling - Titles.com http://www.wrestling-titles.com/nwa/world/nwa-h-matches/ 等いかがでしょうか。


子供の時はフランク ゴッチを初代王者とし、、、を信じておりました。でもそうではなかったと知った時はショックというか、ガッカリしました。NWAに限らずほとんどが分派、枝分かれしたものですしね。
 

(無題)

 投稿者:胴長犬  投稿日:2017年 7月11日(火)10時33分31秒
  >>> カーペンティアはNWA本部より正式に王者として認定されていたのですが、カーペンティア派のプロモーターのNWA脱退により、タイトル獲得すら無効にされたと読んだ事があります。

これは初めて聴きました。今と違って呑気な時代だったとはいえ、それなりの短期間にカーペンティア派が脱退し、王座も記録も剥奪~抹消があり得るのでしょうか? ロジャースがテーズにベルトを奪取され、それに抗議の意味でマクマホンがWWWFを設立、という流れを観ると、カーペンティア派も同じ流れで脱退、他団体を立ち上げるかしないと抜けるだけでは余り意味がない気がします。

 

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