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孤独が当然、のこと。

 投稿者:  投稿日:2017年11月16日(木)02時23分45秒
返信・引用
  このところ、店のドアを開けていませんが、南薩摩はどうでした? 岩城さんとの弥次喜多だったのでは、と思ったり。
ところで、掲示板の「俺はすごいトシヨリかも」は、なす爺、Maybeではなく、Exactlyだよ。「現地集合」、合理的だ。

池内 紀くんはカフカの翻訳を岩波あたりでやったりしている人だけれど、「孤独死を憐れむのはおかしい、死ぬのは孤独が当然」は当たり前といえば当たり前、納得するような言葉でもないでしょう。「さて、いよいよ、俺は死ぬぞ」というとき、家族や友人、どこかの国の指導者モドキの人物のように、数十万人の人々に見送られて逝くにしたって、結局、ひとり=孤独に死ぬのだから。「もっと、光を!」と言いながら逝った彼も、「もう、薬は結構」と言った彼も、最期ははやり個人的な消滅、孤独な終焉だよね。つまり、初歩の物理学的な観点からすると、原子に戻る・帰るというプロセス。元に戻るということ。自分という「個体」を作ってくれた母(母のような女)と父(父のような男)には、一応、深い感謝と捩じれた恨みを持ちながら。

しかし、なす爺は(今のところ)元気で、しかも、若人のような、どこでも行こう、なんでも見てやろう、なんでも首を突っ込んで、自分なりに考えてみたい、そんな人だから、そういうところが素直で素敵だね。今回の南薩摩行きも、そうだったのじゃないかしら。そういう意味で、なす爺は、死ぬまで一種の真剣勝負、そして自己保身(防衛)、この両輪を調和を持って貫いているようで、とても、真似ができないな、羨ましいな、と最近ちょっと思うな。

当たり前のことだけれど、人の生き方、一生は様々だな。カウントダウンを呑みこみながら、何とか生きていかねば。

 
 

俺はすごいトシヨリかも

 投稿者:なす爺  投稿日:2017年11月12日(日)09時06分59秒
返信・引用
   南薩摩4日間の旅から帰って、ボンヤリnhkラジオ聞いていたら「すごいトしヨリbook」
著者池内紀のしゃべっているのが耳に入ってきた。氏もこった名の本も知らなかったが、
話の内容はまあまあ当然のことばかりで、驚くことはなかったが、こんな本が有名になり
感心させられているのには驚いた。氏は高名なドイツ文学者で沢山の本を出している。エッセイの
賞も受けられていてエッセイ本も多数とか。
それで話を聞いていて、 なんだこんなことが大切でためになるなら
、俺はエライ爺トシヨリかもと、自認したのである。
孤独死を憐れむのはおかしい、死ぬのは孤独が当然。これはマスコミのおかしさなのに
マスコミを批難せず、憐れむ庶民に対して非難し、死ぬのはいつも一人と語る池内氏なのだ。

 そしてまず氏は家族なんかに頼らずじりつせよ、なんてあたりまえのことを言う。
家族旅行など一緒に出掛けずバラバラに行く現地集合がいいのだと。
それを有り難そうに聞くNHKアナウンサーにもがっかりだが、
我が家は数十年も前から現地集合が当然。
先日我妻との結婚50周年記内輪念宴会を箱根でやったのだが、現地集合、3年前の三男
離婚報告会奥飛騨でも現地集合、妻と出かける1-2泊の旅も現地集合。
妻は直行バスが好きで空港まで所沢から乗る。私は電車を乗り継いでゆく。
宿の食事もでも妻は中華私は和食が多い。他人はおかしく思うようだがわれらは慣れている。
まあお互い自立しているということなのだろう。
池内氏の云うことに感心し、その本が売れるというのは当たり前のことが忘れられているのか、
また当然のことを言えば世き安心し、似たような本を何回書いても売れるのかもしれない。
私の尊敬する素徹先生はドイツ文学者の碩学であり どう思っていらっしゃるのか伺いたいと
思った日曜の朝です。

 

11/6-12まで休みます

 投稿者:なす爺  投稿日:2017年11月 5日(日)20時35分47秒
返信・引用
  11月6日から休みます。13日の月曜から開店します。
鹿児島にいる友人宅で遊んできます。木曜紳士の岩城さんと一緒です。
 

ちょいと、さみしい、のこと。

 投稿者:  投稿日:2017年11月 1日(水)03時19分7秒
返信・引用 編集済
   通りすがりさん、そうなんだ。
 さぞや、がっかりしている紳士淑女もいることでしょう。
 昭和6年の開店。昭和92年の閉店。ちょいと、寂しいですね。戦後、ダザイやアンゴやオダサクが「ルパン」で飲んでいるころには、もう営業していたということですね。目白のなすびも黙る、店の歴史のその店で、残念ながら小生は、同郷出身のホステスとは会えませんでした。

 何年か前、夕方近くに店の前をふらふらと散歩していると、ジーンズにTシャツの美人で若い女の子が店に入ってくのを見かけました。店の前に張り出されていたホステス募集の張り紙を見て、そのことを同居人の女に話すと、「あら、わたしも面接にこうかしら、だって、わたしも目黒の女ですもの」と言ったことがあります。同様に「あら、あたし、盛岡の出身よ」「あら、あたしだって、金沢の生まれよ」と、いろいろありました。

 思えば、あの街は大人の街でした。新宿や渋谷、池袋とはひと味もふた味も違う感じ。もうかれこれ40年も前、田舎出の不良学生のころ、和光の前で恋人と待ち合わせしていると、学生ではなく、なんだか大人になったような、そんな気分にさせてくれたし、持ち合わせがなくても大人の気分で通りを歩いたものです。しかし、最近は中国の人々の爆買いの街に。彼らが悪いとは言いませんが、ちょっとね、あのころとは違います。

 考えてみると、あるべきもの、当然、あらねばならなかったもの、あったものがなくなるのはちょっと寂しい。10円握って行った駄菓子屋、毎月の儀式のような散髪屋、スリリングな番台の銭湯、怖くて優しかった近所のオバサンやオジサン、家の前の土の道、通学で利用した駅、路面電車や乗り合いバス、秘密の小道や見慣れた銀杏の樹、などなど。結局、世につれて、なくなるものが後を絶たない。そして、なくなるものは大袈裟に言えば「私の文化」「私の風景」の消滅、個人的な記憶と思い出の消滅、そんな気がします。できることなら新しいものについて行かねば、けれど、失くしたものは脳裏に刻んで決して忘れないぞ、新しいものは便利で、古いものは棄て難い、という矛盾した思いと調和。そういう意味で、なすびには今のうち、行かなければ、そう思います・・・が、通りすがりさん、そうではありません?
 

(無題)

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年10月30日(月)19時58分32秒
返信・引用
  ニュース貼っときますね。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171030-00000067-it_nlab-life

 

選挙後の雑談

 投稿者:なす爺  投稿日:2017年10月28日(土)12時59分59秒
返信・引用
  小池都知事が民新党連中を差別排除なく、みんな一緒に安倍を倒しましょうと
鐡面嘘をつけたら、民新など政治屋連中が怒涛のように安倍倒しにむかって
都議選のようになったのではなかろうか。なんて話が出てますが、
小池には安倍を倒す意思なんかもっていないし、大嘘つける玉でもない。とか
野党分断か 野党共闘に尽くして候補取り下げた共産党を評価するかどうか
とうとう なすび談議は続いています。
 

役所感覚

 投稿者:素徹  投稿日:2017年10月28日(土)11時02分51秒
返信・引用
   たまたまテレビを見たら、森光子が国民栄誉賞を受賞したことを話し、賞状を広げた場面だった。
 受賞者は、「村上美津」。目を疑った。舞台女優森光子が受賞したのではなかったのか。国民村上美津さんがお受けしたのか。
 しばしことばを失った。もうこれ以上いうこともないでしょう。いずれにしても妙な国だ。
 

世の変化

 投稿者:なす爺  投稿日:2017年10月23日(月)15時36分6秒
返信・引用
  いゆはや、テレビを観ていると、これが社会のすべてであねかのような感じになって愕然となることがある。頭を冷やしテレビの欺瞞を分析しないと、馬鹿な方向に流されてしまうだろう。馬鹿な方向と私が思っても多くの人々がそれを支持していれば私が異端であり、安泰な流れを邪魔する変人として排除されてしまう社会が迫ってきたのかと思う今回の選挙でした。  

知性

 投稿者:素徹  投稿日:2017年10月23日(月)10時58分8秒
返信・引用 編集済
   大本營發表の嘘と効果、そして恐ろしさを知っているものは、この空気を肌にひりひりと感じていたはずだ。
 そのまさかが、一段進んだ。芯から愕然とする。

 aude sapere 勇気をふるって、頭を使え (権威に従うのではなく、自らの知性をはたらかせて、自立[律]した行動を行う勇気をもて)を放棄した社会は自壊する。

 先に文科省は衣の下の鎧を覗かせた。人文科学系の組織の廃止. や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする「通知」。ロボット的人間は増やしたいが、自ら考える人間は邪魔なのだ。

 戦後教育は、自由党、自民党の「民主主義的」方針で、オクトクラシーを進めてきた。巧言令色鮮仁を地でいっている御仁を奉り続ける結果や恐ろしいではござらぬか。孫子の幸せを祈る老骨は、悲嘆に暮れるばかり。
 

今から少し恐ろしい、のこと。

 投稿者:  投稿日:2017年10月23日(月)00時14分27秒
返信・引用
   結果が分かっている映画や小説は、観るにも、読むにも、耐えられない。今度の選挙もこれと同じ。午後8時からTVで放送された選挙結果には、予想が的中しただけに飲む酒も不味かった。「厚化粧の大年増」がやらかした政治的な大失態は、歴史に残るだろうけれど、有権者の投票行動も、また同じ。立憲民主党は比較的躍進したけれど、元の党を割ってしまう、つまり、野党をズタズタにした泥沼的な状況は、おそらくこの先長引くだろう。
 それにしても、大勝したわれらが狂気の安倍君、彼のにこやかな笑顔が目に突き刺さって痛い。決して有事を起こすつもりはない「北朝鮮のヤンチャ坊主」と彼との言葉遊びに忙しい米国大統領、そして『失望の党』を立ち上げた「厚化粧の大年増」の三人には、心から感謝感激雨霰の安倍君だろう。しかし、この先、彼とその一派が、どうやって「国難」という言葉を操り、この国をどこへ運んでいくのか、それを考えると、今から少し恐ろしい。
 

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