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放蕩息子のたとえ

 投稿者:新谷恭明  投稿日:2017年10月 5日(木)12時55分23秒
返信・引用
   今日のチャペルでの中村和光先生のお話は「いなくなっていたのに見つかった」であった。内容は「ルカによる福音書」の15章。いわゆる放蕩息子の話だ。
 そのチャペルだが、今日はわけあって、マロリーホールで拝聴した。いつもより(と感じたのだが)ざわざわしている。古川先生が話そうとしてもおしゃべりは止まらない。ついに古川先生が特定の人を指さして注意した。しかし、まだまだ。今度はちがうところでおしゃべりが聞こえる。2階席ではいつもはそう感じないのだが、今日は多い。去年だったか、
「いつもおしゃべりをしてうるさい人がいます。なんとかして欲しい」
 という苦情があったのを覚えている。このように私語に対する指摘はよくある。20~30年程前に教育学の世界で私語に関する研究が話題になったことがある。もはや大学の講義における私語と私語対策は常態化していると言ってもいい。
 今日の中村先生のお話を聞いてなるほどと思ったことがある。先の聖書の話では出来の悪い息子が親の財産の分け前を使い果たし、しょぼくれて帰ってくる。父親の下で雇人になるというのだ。ところが父親は大喜びして歓迎するのだ。そして大宴会となる。ここまでの話は父親の息子への愛、置き換えれば神の人類への愛でもいいらしい。
 しかし、問題はその次にこの息子の兄が出てきて
「わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。」と訴える。まさに真面目に話を聞いている学生がおしゃべりな連中を訴えているのによく似ている。
 中村先生のお話は
「愛だ。兄の言い分は正しいが、そこに愛はない」と。
 問題解決の糸口は見えたような気がする。しかし、問題は具体的には解決していない。なにしろ、放蕩息子とちがって、おしゃべりレディはなにも悔いていないからだ。
 
 

教育課程論の補講

 投稿者:新谷恭明  投稿日:2017年10月 2日(月)10時20分40秒
返信・引用
  補講は10月14日(土)3限目(13:00~14:30)です。教室は6209です。いつもとちがうのでまちがえないように。  

休講と補講のお知らせ

 投稿者:新谷恭明  投稿日:2017年 9月30日(土)23時00分39秒
返信・引用
  10月2日(月)の教育課程論は突如休講です。
その補講は10月14日(土)3限目1300より6209講義室です。部屋をまちがえないように。
 

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